努力と下心
「努力」に関するノムさんの言葉
努力したからといって成功できるほど世の中甘くない。しかし、努力しない人間はクソだ。真面目に努力してる奴と、してない奴がいれば、真面目に努力してる方にチャンスを与えたくなるのが人情。
能力の無さは仕方ない。才能には限界がある。でも、努力は才能なんて関係ない。やろうとすればできるのに、やらない。努力することで少なくともチャンスはもらえるのに、なぜ努力をしないのか。
これって野球だけじゃないよね。どんなスポーツ、いや、どんな会社、どんなビジネスでも似たような所はあるんじゃないかしら。才能と違い、やろうとすればできるのが努力なのに、やらない。やらないんだからチャンスなんてもらえなくて当然だ。
これって逆説的な言い方もできて。努力してダメなら、才能の無さか、努力の方向性を誤ったかに原因を絞ることができる。絞れば対策も立てやすい・・・のではないか。
おそらく、パチンコ業界の人は他業種より頑張ってるんだよね。努力してる。
なぜ断言できるのかといいますと、そもそも一流の人材で作った業界「じゃないから」。中卒高卒大歓迎。むしろ東大出身となると採用側や経営者はアタフタしたするレベル。面接で「本当にウチでいいの?(´・ω・`;)」と聞いてみたりしてね。
徹底した努力をしても世間から受け入れられず、未来へのチャンスを奪われようとしているなら、「そもそも無理」なのか、「努力の方向性を誤ったか」に絞られるわよね。
何のための努力か
練習のための練習をするな。試合のための練習をしろ
これも含蓄のある言葉だと思う。パチンコ業界はとても努力してるんだけど、下心を見抜かれてるんじゃないかと。下心ってのは努力の天敵で、触れ合った瞬間にそれまでの努力を全部打ち消してしまうんだよな。
中途半端な○○対策だと、行政は見抜く。世論も見抜く。自分への「努力してるのに(○○を得られない)」という気持ちは、客に見抜かれる。努力してるんだというエクスキューズの正体は、下心なんですわな。
努力は嘘をつかないというけど、間違った練習の仕方をしてたらダメ
これに関してはダルビッシュも似たようなことを言っていて、「練習は嘘をつかないけど、ちゃんと考えてやらないと、平気で嘘つくよ」と。
迷った時は下心を捨てて勉強をしてみる
思えば、学生時代の勉強というのは、比較的、努力が報われやすいジャンルだったなと思う。実際、私は好きな勉強しかしなかったから、偏差値36だったわけで。勉強というのは、練習が報われやすい。間違えにくいジャンル。だから、迷った時は勉強をする。読書でもいい。
先日、堀川さんと話したとき、「勉強を嫌い、即効性のある営業戦略を求める人は、依然として多い」と語っていました。即効性のある物は、強い副作用を伴うし、永続できないから身につかない。
何のために、何をするか
努力とは、目的へ到達するための、自分との闘いなわけで。大切なのは量とベクトル。他人に対して「努力してまっせ!」と主張する、あるいは察してもらおうと策を弄するのは、努力を無に帰してしまう下心ではないだろうか。
ディスカッション
コメント一覧
>努力は嘘をつかないというけど、間違った練習の仕方をしてたらダメ
これは「間違った努力の仕方をしてたらダメ」でいいんですよね。
凄く共感できます。
中学生の頃:根性だ、うさぎ跳びグランド3周。
大学生の頃:うさぎ跳びは膝を痛めるから絶対にやるな。
一方で、社会に出ても
地区の全家庭戸別訪問で契約を取ってこい。努力だ!
夜遅くまで毎日頑張っている奴がいる。そういう努力している奴を見習え。
(その見習われるべき社員の中には「遅くまでいること」だけが目標という社員もいて、それが可能となるように日中はのんべんだらりと疲れないように過ごす)
「努力」は傍から見ての言葉であって、目標を見据えてやっている本人は努力しているとは思っていないでしょう。目標に向かって当たり前のことをやっているだけだと。レポート作り等、ボンペイさんは努力してやっているとは思ってないですよね?
そういえば、努力してるとは思ってないですね、私。
ああ、そうですね、むしろ努力は足りないんじゃないか?? 努力とは日常の仕事ではなく、それ以上の付加価値をいうの、かも?(汗)
「夜遅くまで頑張る」=「努力」と勘違いする人は多そうだ。効率よく仕事をし、成果を上げる人は評価されない。成果を上げられないのに、頑張ってる風な人は評価される。今でもそういう企業は多いんでしょう。
「努力」とは他人から見た場合の言葉だと思いますので、
「努力してまっせ!」で反論するのであれば、弁明の一種だと思いますし、
当然、相手の同意は得られないだろうと思います。
一方で、
「君はドライバーが220ヤード、5番ウッドで200ヤードか。
なら、死ぬ気で努力すれば、全ホールイーグルは可能だな。
出来ないなんて甘えているだけだよ。人間の可能性は無限なんだ。
やる前から出来ないなんて言う人間は最初から戦いを放棄した負け犬と同じだ。
」
極端に書きましたが、間違ってはいないけど過度に「死ぬ気」を過信した指示が飛んでくることもありますので、努力を要求する側にも節操は求めたいです。
そもそも「努力しよう」という時点で、何らかの甘えや、計画性の欠如が見えるような、見えないような。
おっしゃるとおり、努力とは他人から見た時の指標だと思います。そして強要するものでもない。
結果を求める前に努力を求めるような上司は、まあ、上司失格でしょうね。