ボン感・限定的自己承認
管理者の危険な兆候
「俺は太ってる中ではスマートな方だ」とか、「偏差値は低いけどクラスの中では一番賢い」とか。比較対象を限定することで自分の存在を自分で高めることを限定的自己承認といいます。私にも心当りありまくりですけど、ビジネスの世界でやってしまうと大きな問題となる。
うちは低稼働だけど系列店の中ではマシな方だ
常連のお爺ちゃんには好評だ
こういった考え方は、辛い現実を正しく把握することを阻害し、対策を先延ばしにします。常連のお爺ちゃんに好評だからといって、その裏で人知れず店を変えた若者がいたらどうでしょうか。不評な人はわざわざそれをスタッフへ伝えませんから、店長へは届きません。届くのは「好評」ばかりです。
例え限定的であっても、好評なのは間違いない・・・という考え方もありますけど、その結果、稼働を大きく落としたら本末転倒です。
勘違いの発生
限定的自己承認を続けていくと、こうなります。
常連に愛される店作りをできる俺は、有能なのだろう
妄想ともいえる自己万能感へつながるんですね。
実際、パチンコ業界にはこういう人が多かったはずです。俺はどんな店でも建て直せる、俺が選ぶ機械は百発百中だと。こういった限定的自己承認は、他者との関係性から生まれる承認ではないため、悩むことも少なく、気持ちいい。
しかも困ったことに、「何かをやれば認められるはずだ」という妄想が元になっているため、承認は永遠に充足しません。結果、自分だけでは満足できず、他社との関係性においても自分への承認を求め始めます。
突然会話の内容を変更してでも、自分への賞賛に話題を導くようコントロールしたがる人、いるでしょ。
麻薬は必ず破綻する
自己承認を麻薬として猛烈に働く人もいますけど、実体を伴わないため必ず破綻する。自分より上がいること、ホンモノの存在を知ると同時に心はポッキリ折れ・・・折れないために人間は防御本能を働かせます。
相手を上と認めると同時に、他の人間を見下すことで、「下の人間から見たら俺は上の存在」という形のロジックを作り上げるんですね。
こうして、比較範囲を狭く区切る限定的自己承認は繰り返される。性格はバッチリ悪くなっていくでしょうね。これを防ぐためには、想定していた自分に実際の実力がついていかないとき、そこでどう振る舞うか、行動するかが重要となります。
まあ、パチンコ業界の講師として好評を博する私には、一切関係のないことですけども!(高笑い)←これ
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