人生のイベントを経験してないと
友人が多く集まる場に出ると最近よく感じるけど、人生の適切な年齢で適切なイベントをこなせた人とそうでないと人の差が出てくる年齢というのがこの世にはあって、「人は適切に老いる事ができないと、おっさんにもなれず、若者の醜悪なパロディになる」みたいな話が徐々に説得力を持つようになってきた
— 焼きたてくらんぼん (@qlambon) 2017年6月25日
ああ、これは分かる。
私は以前、「背負ってる物無さそうな顔をしてる」「幼い表情をしてる」と言われたことがあります。その人はもう業界にはおらず、無事どこかでくたばってればいいなと心から願いますけど、内容は心に刺さった。
どうすれば背負ってる物ありそうな顔になるのかって話よね。思考の順番をすっ飛ばして結論から書いてみると、「深く重い決断と苦悩を積み重ねてきたか」という部分へ集約されるんじゃないかなと。
重要な決断とそれに伴う考察を行えば、自然と顔は緊張する。その繰り返しにより表情は深みを増す・・・のではないか。当事者意識を放り出し、批評側へ回ることで自己責任を回避すれば、へラッとした皮肉の笑顔ばかりで深みのない表情となる・・・のではないか。
これは、結婚してればいい、しなくてもいいという話ではないように思う。就職や結婚といった重要なライフイベントを経験しただけでは「適切な老い」はやってこないし、フリーランスでも未婚でも立派なおっさんになる人もいる。
そもそも何を持って適切、何を持って立派というかって話だな。
結局は積み上げてきた人生そのものへの自信なんだろう。
ディスカッション
コメント一覧
老いる、ですかー。
私は嫁にも「年齢通り加齢しろクソオタク」と罵られるほど若い感性と価値観で生きると決めて最後まで走ろう(故に現在ソシャ屋。ソシャがダメになったらまた次。シナリオを書く仕事は何処でもあると信じて)と思っている次第なので「年齢通りに加齢しないと~」の言説に同意することはないのですわ。
間違いなく年齢通りではない外見によってウチの母を年齢で騙して結婚したウチの父の影響です(25歳年上)。
ついでにテナー歌手になりたくて、最後まで諦めてなかったし。
そんなのを間近で見ていたので、加齢と経験は別段両立する必要もなく、死ぬまでに「その当人が何をなしたか。そして満足したか」だけが大事だと思うのであります。
世界、世間、日本、両親への還元なんぞ、その後のお釣りでいいんですよ、ホント。
人は人、自分は自分
人に迷惑をかけない限り、これでいいんじゃないかな。
若い感性を持ち続ける老人ってかっこいいと思うけどね。