Twitterを見すぎてると怖い
ツイッター見てると、小難しいことを言う人より、ちんこまんこ言ってる人の方が健全に思えてくる。
— 吉田圭志(BonPay吉田) (@epachinko) September 18, 2018
人間を狂わせるツイッター
なんというかさ。
ここ数日どっぷり浸かってみたけれど。
本来なら手の届かない人へ直接意見を言えて、かつ反応をもらえる(たとえ「いいね」だけだとしても)というのは、承認欲求をどっぷんどっぷん揺さぶるね。
本来なら「キチガイ」として相手にされない人が、本来なら「雲の上」にいる人へモノを申せる。自分のレベルを苦労なく引き上げられたような錯覚に陥りますわ。レベルアッパーですわ。
自分の意見を全面的に受け入れてもらえなければ苛立つし、脊髄反射的に反論したくなる。これ、人間を狂わせるんじゃないかとさえ思った。
課金しちゃったよ
その一方で、「こんな考え方あんのか!」「この人は天才だ!」と思うことも多々あり、その人らのコミュニティへ属したいと、いつも以上に考察を重ねる自分もいて。頭スポンジですわ。
スゲー!自分はこの分析に到達できない!スゲー!もっと読みたい長文で読みたい!」って、白饅頭氏のnoteに三〇〇円課金してしまいましたw これも一つの出会いだよなぁ。
論理的な整合性よりもお気持ちが勝利しやすいソーシャルメディアの中で、それでも論理を諦めず、しかも伝わりやすい平易な表現を選ぶ人達は尊敬に値します。
攻略法的なもの
そしてやはり、文字制限だね。あの文字数で真意を込めようとすると、逆に真意と遠い、刃だらけの文章になってしまう。ほんと難しい。
とりあえず思ったのは、議論系、討論系、政治系では「形容詞を抜け」ということかな。キレイ、楽しい、酷い、おかしいなど、「い」で終わる形容詞は個々人の感性に基準を委ねてしまうから、認識の共有を図れない。短文に向かない。
よほどの一般常識でない限り、自分の意志を伝えるときは形容詞を抜いた方がいいなと。そういう方が「いいね」も多く付き、リツイートされやすい。
原稿と調査レポートに追われているのでしばらく封印しますけど、時間を奪い尽くすTwitter、怖い。
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