虐待する人は、被虐児童を取り上げられることを恐れる
なぜなら虐待する相手がいなくなるから。
自分の存在を確かめられなくなるから。
生き延びた被虐児同士でカコバナをすると「助けなんか求めたら絶対殺されるじゃないですか」「それな」って話題が割とフランクに出るんだけど被虐体験のない人は「そんなまさか」って笑って返す事が多いんよね。今回被虐児の胸に広がったのは衝撃ではなく「やっぱりな」という静かな絶望だと思う。RT
— えいくら葛真@続!青春マイノリティ!! (@ikurakoikura) January 31, 2019
むしろこれは「役所への正しい圧のかけ方を知ってるカタギ」なんだよ。大人には法的脅し、子供には暴力。相手を屈服させるためなら、どんな労力もいとわない狂った人間っているんだよ。
小4女児死亡事件 逮捕の父親は校長に情報開示を約束させる #ldnews https://t.co/3uBn1W5CVQ
— Satoshi Yoshida (@satoshiyoshida_) February 1, 2019
この父親、かなり手馴れている感があって、カタギとは思えない。学校側を法的恫喝で押し込みつつ、情報開示の念書とアンケートまで入手。市教委が最悪な対応ってのはその通りだが、それを引き出す側がむしろ怖い。 / “小4女児死亡事件 逮捕の父親は校長に情報開示を約束さ…” https://t.co/108E30lgLd
— 窓の外 (@madosoto) January 31, 2019
相手を屈服させることこそアイデンティティであると。
最近買ったこの本を読んで腑に落ちた。
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