朱印状集めと借金取り

個人ネタ

母の影響で、神社の朱印状集めをするようになりました。流行りにのっかるようでアレなんですけど、スタンプラリー感覚でオタク心というか収集癖的な部分を刺激されます。

とりあえず、日本全国にある一宮や官幣大社をまわってみることにします。ミーハーだから。パチンコ屋は小さい店を好むのに神社はメジャー大手さんかよと。

そう考えると、せっかく伊勢神宮へ行ったのにもったいないことしたなー。御朱印書いてもらえばよかったなー。

先日ちょっとだけ触れましたけど、私の生まれは埼玉県大宮市寿能町です。武蔵国一宮氷川神社からほど近い場所。もちろん記憶なんてないのだけれど。

母に「氷川神社よかったよ。行く?」と聞いたところ、「いや、いい」と即答された。神社仏閣を断られたのは初めてだな。

「大宮は辛い思い出ばかりだから」とのこと。

まあ、なぁ。

不動産会社を経営する父と出会い結婚するも、不景気で会社は倒産。当時の借金取りはそれはそれは凄まじかったらしく逃げるように転居を繰り返しました。

 

その後も父は会社を起こし、成功させ、景気に翻弄され、倒産を繰り返します。

北本に住んでいた頃、家のドアに貼ってある「金かえせ」の張り紙と、応接間でふんぞり返るヤクザの姿は目に焼き付いてる。小学校低学年で「さいけんしゃ」という単語を覚えましたわ。意味は分からなかったけど、親を怒鳴り散らす人達だと認識してた。

1日100回くらい電話かかってくるんだよね。だから家族で「通し」を決めていて、2回コールで一度切る、すぐに再度コールしたら家族の合図だから電話に出るとしていました。

引用→【不動産会社の物件情報

昔は「小田急マンション」のロゴの下に自販機あったんだよね。そこから左のシャッター部分は文房具屋に喫茶店、理容室などが並んでいた。マンションの敷地内で何でも揃う形だった。

今はもう築40年近くになるんじゃないかな。5歳から10歳まで住んでいました。小学校までは1.5kmくらいあって結構辛かった思い出。

私の記憶のスタート地点です。

 

大網から印西へ引っ越したときの母のセリフは忘れられなくて。「やっと逃げない引っ越しができた。ありがとう」って言ったんだよ。

普段は明るい人なんですけどね、昔話となると、どうしてもね。

個人ネタ

Posted by epachinko7@gmail.com