エロマンガ先生に苛立ってた
さあ寝るかという矢先、なんかイライラしてる自分に気づいた。
パチンコ勝ったし、ヤクルト勝ったし、寿町のドヤ街も見てきたし。
どうもさっき見た、深夜アニメのエロマンガ先生に苛立ってる。
作品中に登場する、200万部を売り上げる天才女子中学生作家の言った「小説は遊び。やる気マックスの時にしか書かない。仕事として書いてる作品が面白いわけないでしょ」という言葉が刺さった。
この女子作家はいわば豪速球のエース。エロマンガ先生(引きこもりの妹)は天才的なエロ絵を描く四番打者。
対する主人公は何の特徴もない高校生・・・ではなく、彼もまた小説家としてプロデビューしてるんだよ。年に数回一軍へ呼ばれる程度だけど、高校生で商業小説。プロなんだよ。才能あるんだよ。
頂点の世界で売れる売れないの話をしてる。しかも売れる方は中学生の女の子で、圧倒的な能力を見せつける。
主人公からすれば、本来なら吐き気を催すようなキツさだろうよ。
プロになれなかった吉田さんとしては、二軍であったとしてもプロの世界に身を置く主人公が、素晴らしく眩しい。
深夜アニメで何を言ってるんだという話だけど、この作品のリアル原作者はラノベで大成功をしてる。頂点の世界にいる人間が、自身のフィールドから見解を示してるんだよ。
「仕事としてやったらつまらない作品になる。やる気マックスの時に書け」
繰り返しになるけどこのセリフ、ほんと堪えた。
おそらくこの女子中学生は、自身をやる気マックスに高める術を知っていて、実際、締め切りに間に合わせるのだろう。
そして、仕事としてやっている者を圧倒的に凌駕する結果を見せつけるのだろう。
転じて私は、どうだ。
やる気マックスの時にやった仕事はもちろんあるし、それがミラクルな結果になった事もあるけれど、あんな神が降りてきたような高出力は、狙って出せるもんじゃない。
ありがちなのは、時間に追い込まれて仕上げた仕事。追い込まれながら完成させると、間に合わせたことそのものを高く見積もってしまい、低いクオリティでも良い仕事をした気になってしまう。
アニメキャラのように、満ち溢れた才能で世間をひざまずかせるのは、一体どんな気持ちなんだろう。努力なんて当たり前なのよね。同じ量の努力で、空を飛べる人がいるんだ。
エロマンガ先生は、見ていてとても辛い。
さぎりちゃんは可愛いね・・・くらいの感覚で見ればいいんだろうけどなぁ。
ディスカッション
コメント一覧
どうですかねぇ。自分は反対ですよ。
「仕事=金をもらう=ベストを尽くす」なんであって「遊び」と称した段階でプロ失格なんで、そのメンタリティは未成年であっても批判されるでしょう(社会経験がねぇからつーのはさておき)。
成果物が天才級のものだったとしても、作家の内在する価値観が「小説=遊び」って言語化された段階でどうなの、と仕事相手としてさ、と。
個人的には「へ?仕事と遊びの区別付けてるの?」ぐらいの仕事中毒だったので、今、サラリー(=拘束時間給。昔は、能力×成果給)で禄を食んでいる身分としては「休日(遊びの時間)」が漠然とした不安で生きている次第です。
なので自然体で仕事し続けている真実天才はおられますので、そっちにエールが贈りたいですねぇ(荒川弘先生とかね。化物かもしれないけど、天才のメンタリティと価値観ってあーゆーのだと思う)。
まぁ、所詮ラノベのカリカチュアされた分かりやすいスタイルにギャースカ言ってもしょうがありますまいという気持ちですが、影響を受けたり反応してしまう人に「いやいやそんなのに心を動かされてはなりませんぞ毎日真面目に前を向きましょうぞあなたの仕事は輝いている!」と自己啓発セミナーの主催のような言い分をしたくなるのであります。
返信になってないかもしれませんけど、奥平さんの書き込みを読んで発想が膨らんだので、そのまま垂れ流します。
言ってしまえば「ラノベやしねw」で終わるんですけど、こう、なんていうのかな。仕事として生まれた60点と、遊びで生まれた100点、クライアントはどちらを取るか、ということなんです。
フリーランスは成果物のみで勝負するしかないわけで、圧倒的な高得点を吐き出す人は脅威ですよ。羨ましくもある。
仰るとおり、荒川弘のような生き方は凄い。真実天才でしょう。そして彼女を天才とするならば、プロの条件は成果物の「質と量」なんだろうなと思います。アウトプットの量が圧倒的。
これはマンガや小説だけでなく、おそらく音楽もそうでしょう。サラリーマンとしての仕事もそうだと思う。プロと素人(新人)は何が違うか。アウトプットの質と量、特に量じゃないかな。
エロマンガ先生は来週、おそらく、天才女子中学生の圧倒的な「量」を見せつけるはずなんです。短時間で量を吐き出す=やる気マックスなのかな。
>追い込まれながら完成させると、間に合わせたことそのものを高く見積もってしまい、低いクオリティでも良い仕事をした気になってしまう。
ここ、すごくわかります。
「やれるだけやった」というのは60点の免罪符にならないんですよね。求められるクオリティが60点ならば問題ないんですけど・・・。
仕事だろうが遊びだろうが、結果として100点の物(できれば120点の物)を作りたかったはず。なのに時間を理由に60点を許容しちゃいけないと思うんです。
ああ、自分で書いてて心が痛い(‘A`)