正しいか間違ってるか 批判意見と自分
ブログにせよツイッターにせよ、正しいか間違ってるかは読者数で判断するしかないと思っていて。どんな意見であっても必ず批判されるなら、批判数で正しさを計測できない。
リベラルにせよネトウヨにせよ、なかなか思想を転換しないのは、つまり自分の正しさを支持者(イイねする人や読者数)が間接的に証明してくれてると信じるから。
その昔、私に対して「投稿する前に3回読み直せ!」「文章は世界に発信するんだぞ!」とアドバイスをくれた人が、ツイッターでたびたび発狂し、支持を失い、ファボリツ0のまま延々と毎日10件以上の呟きを行っているのを見てしまった。
理性を保てと簡単に言う人は多いけど、自分で発信側に回るとそれは容易ではないと気づくだろう。あるいは気づかぬまま狂人と化すかだ。
逆に、突然押し寄せる大量の罵倒に耐えかねて、発信をやめる人もいる。
何を書いても自由ならば、批判をするのも自由。どの批判意見を受け入れるかも自由だ。失敗すれば支持を失うものの、顧客と売主の関係ではないのだから、全ての批判をガン無視する自由だってある。
新台レポートなら会員数、ブログなら閲覧者数、そしてnoteは購読者数。私はそこにこそ自身の「正しさ」を見出したい。
減っていくようならば私は間違っている、あるいは役目を終える(要はツマラナイ)ということ。別の言い方をするならば、干されない限り死んでないということ。
ダメだったら一気に干してくれるから、干されないうちは安心して進め。干されたら、干した奴を死ぬほど後悔させるくらい頑張ればいいんだ。
この歳になるとキツいけどね('A`)
ディスカッション
コメント一覧
ボンペイさんはそれ(ネットでの発信)でご飯食べているからまだ理解出来るんですけど、そういう立ち位置でもないのに発信し続けて潰れていく人って、たったここ数年で全世界で数百~数千万人くらいいそうじゃないですかw
私はその辺一切やらないからわからないのかなとも思いますけど、そこまで皆が自己破壊に突き進んでもやり続けるってことは強烈な自己肯定感とかを感じられるからなんでしょうね
カタチが違うだけでバカッター状態の子供たちも同じなんやろか?
いやもうほんとそれ
仕事でもないのに吹き上がって、おこおこして
狂人になっても気づかずファボリツを減らしていく
思うにファボ(いいね)が問題なんだよね
自己承認欲求とベッタリ貼り付いちゃう
個人的にはnoteの売上向上に資している感じはするので、母艦であるブログへ誘導すべく、PCからのブログ更新時は自動的にツイートできるようにしました