パチンコの企画者開発者が今、絶対に作れないもの

スロット, パチンコ, 遊技機

ジャグラーはダサい

みんなのジャグラーって、1G連チャンすると喋るのな。女性の声で「ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリー!」って。知らなかったよ。

隣の台から流れるジャンバリ声を聞いて思った。北電子には大変申し訳ないんだけど、ダサい。猛烈にダサい

でも、このダサさはアリだよ。

むしろ心地いいではないか。

そこで思った。

 

パチンコの企画者開発者は、ダサいモノをつくれない。なぜならダサさに定義はないから。

 

格好いいものは作れるんだよ。なぜなら定義があるから。大きな液晶、高解像度のCG。電飾を派手に、役モノはスマートに変形しつつ画面を覆う。決まっているから作れるんだ。

 

 

ダサいからこそ飽きずに打てる

意図的にダサいモノを作ろうと思ったら、上司を説得し、同僚の批判に耐え、営業からの「こんなん売れねえよ」という声に抗わねばならない。定義付けされてないモノで他人を説得するのは困難を極める。

でも、パチンコファンをどう想定してるんだよ。デザイナーズマンションに住むイケメンや、街を歩けばスカウトされるような美女ばかりだと思ってるの? 格好いい人生を送ってると思ってるの?

たぶん違うぞ。ややダサめの人生を送ってるんだよ。素人のくせに分かった風な書き方をして叩かれる私なんて、ダサさの究極やぞ(´・ω・`)

 

 

営業マンにも言いたい

私も営業やってたから分かるけど、ナウい仕事じゃないじゃん。へラッと笑って、頭を下げて。ダサいからこそ続けられるし、得がたい魅力もあるわけじゃん。

ダサさを自覚しつつ、仕事に誇りを持ってた。なのに、なんで開発者に対して、格好いい機械ばかり求めるんだ。そんな格好いい人生送ってるのか?

格好いい機械なんて京楽に作らしときゃいいんだよ。ヘタに真似る格好悪さくらい分かるっしょや。

 

 

作らないのではない 作れない

ダサさというのは敷居の低さ。1G連チャン時に「ジャンジャンバリバリー」なんてできないよ。発想がないし、上司は企画を通さない。格好良く派手に、言い換えれば敷居を高くしろと要求してくる。

パチンコの企画者開発者はもちろんのこと、特に外部の映像屋は、ダサいモノをつくれない。マルホンや奥村にはそれを作れる力があったのに、なぜGOサインを出さなかったんだ。

簡単に作れそうな気はするけど、あらゆる障害に阻まれて作れない。「やればできる」というのはデブのダイエットと一緒で、実現可能性を考えたとき、それは「できない(作れない)」んだ。

 

 

ダサさを磨け

ファンのライフスタイルと異なる方向へ向き、格好いい機械ばかり作り続けるパチンコ業界。それは高い技術力の証明だろうけど、世界で敗北した日本の携帯電話に通ずるものがあるよね。

求められていない部分ばかり強調したって、心には刺さらない。だって、格好良すぎて格好悪いもん。

新規のファンを取り込みたければ、お高く止まるな。泥にまみれろ。格好いい機械を目指すようなダセェ生き方すんな。泥にまみれた格好いい男になれよ。

みんなのジャグラーから聞こえるダサい声は、そう言ってるように感じた。