小柳課長への感謝とか

業界ネタ

愛が消えて1年

パチンコへの愛は消えたと書いて1年くらい経ったかな。とある開発さんから言われた、「吉田さんが好きそうな機械は売れないよ。売れない機械は作れない」と、ごもっともすぎる正論を開発さんから聞かされたとき、気付いてしまったのよね。

そうか、売れない、作れない。ならば私の打ちたい機械は二度と登場しない。つまり永遠の片思いだったのかと。10年、15年間と、いつか実ると、いつか通じ合えると無邪気に信じていた自分は、滑稽なだけの無能だった。

それでも、何かを評価する仕事をしたいという子供の頃からの夢は叶い、支えてくれる100以上の顧客に恵まれた。両想いにはならなかったけど、パチンコという夢の中で生きる幸せを感じている。そうね、少し足りないくらいの満足、これこそ腹八分目で良いのではないかしら。

 

 

そうか、パチンコは遂に死ぬのか

ところが5月。ネットで拾った一枚のFAX情報に、私は固まった。警察から健全化推進機構への要請文、いわゆる「オマケ入賞口問題」だ。読んだ瞬間、パチンコ業界は終わったと思ったね。MAX規制、AT規制とは次元の違う話だったから。

これでパチンコは幕を引かれ、カジノの時代になるのかな。それもまた詮無きこと。歴史の終わりに立ち会えたのだから・・・なんて感傷的になったとき、パチンコへの愛は消えてないと自覚してしまった。片思いに気付いたのも遅いし、愛を消せなかったことに気付くのも遅い。なんという恥ずかしさだろうか。

 

 

警察によって示された、生存への道

警察と機構とのやり取り文章を、これまたネットで拾い見し、待てよと。これは違うぞと。何度読み返しても、何十回読み返しても、「パチンコ業界を潰そう」という意志は込められていなかった。むしろ、生き延びさせよう、生き延びさせるためにはこの道しかないという意志さえ感じた。

警察庁生活安全局保安課長の名前で発せられたこの文書により、パチンコ業界は、生まれ変わるための道を示されたといえる。

 

 

将来語られる「小柳文書」

私は警察官僚との接点なんてないし、むしろ今まで嫌悪すらしていた。小柳課長がどんな人なのか知らないし、会うこともないだろう。パチンコ嫌いという噂は聞くけど、そもそもパチンコ大好きな警察官僚なんて多くないだろうし。

でもね小柳さん。私は心から、ありがとうと言いたい。

生まれて初めて、警察に感謝しましたよ。あの文書は業界の福音となる、10年後、20年後。社会から認知され、繁栄を取り戻したパチンコ業界は、「全ては小柳課長の文書から始まった」と振り返るはずだ。

これでパチンコ業界は変われる。諦めていた片思いも、両想いになるかもしれない。短期的には羽根モノまで一律に規制されちゃうかもしれないけど、「高ベース」という方向性がある以上、マイルドな羽根モノは必ず復活する。

少なくとも未来は担保された。待てるよ、待てる。だって私は、片思いのまま15年待てたんだから。

 

 

テーマはのめり込み(依存症)対策

今まで何度かブログにも書いてきたけど、依存症ってのは個人の力ではどうにもならんのよ。私だって今、株依存だし。なりたくてなるんじゃない。「気付くと堕ちてる」ものだと思う。ここで大切なのは、依存症になったとしても破綻しないことなのね。周りや家族へ迷惑を掛けないレベルで止まれること。これが大切。

オマケを開け、ベースを高めるという行為は、一日に使える金額の上限を抑えることにつながる。つまり、ハマっても破綻しにくい。逆に、オマケを閉め、ベースを下げる行為は、カネを使う勢いを極大化させるため、依存になったとき破綻しやすい。

今回の文書への解釈は色々あるだろうけど、依存症(のめり込み)を破綻につなげないという一点において、警察の方向性は極めて正しい。カジノ法案が国会で審議されれば、警察官僚も国会へ呼ばれるでしょう。その時、パチンコは遊技の範囲であると言い切るため、業界を消滅させないため、ベースを開けさせねばならなかった。

 

ホール業界(特に現場)では今回の警察文書を軽く考えてる人が多いのかもしれない。でもね。ベースが辛いってのはつまり「遊技の範囲から逸脱する(≒賭博)」であるという認識だけは、持っておいた方がいいと思う。

ケイサツガーとか、メーカーガーとか言い続けた人は多いでしょうけど、今回ばかりは、ボールはホールにあります。

いや、違うな。ボールはホールではなく、ハンマーとゲージ棒を持つ貴方の手にあると言っていい。

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Posted by ボンペイ吉田