無駄な努力について(吉田の心の闇だから閲覧注意な)

個人ネタ

開発さんやホールさんと話していて。

 

大変な苦労をされたんですね。でも低稼働でしたよね。

大変な苦労をされたんですね。でもお客さんいませんね。

 

そう言ってしまう私は、他人の心を読みとれぬ、一種の病気なのかもしれない。実際、そう言われることも多かった。

 

たぶん私は、努力を認めてほしいと思ってないんだな。認めてくれるのは結果だけでいいし、結果がダメなら怒られて当然だし、貶されて当然だし、小馬鹿にされて当然だと思ってる。

 

学生の頃からずっと失敗し続けてるから、結果を伴わぬ努力を褒められたってどうにもならないと、知っちゃっているのだろう。40過ぎのオッサンが今さらって感じではあるけれど。

 

先日、たまたま学生に戻った夢を見ました。あの頃のように孤独でした。キラキラと輝く放課後の教室は楽しそうな笑顔で一杯で、私は一人、荷物をまとめて帰宅します。階段を降りている時に目覚めたけど、光の中へは永遠に入れないという、久し振りに味わう心の痛みでした。

 

友達を作ろうという努力はした。でもほら、今でこそ少し丸くなったけど、炎上商法気味の吉田ブログを知ってる人なら分かるでしょ。私に社会性はなかった。だから私の「努力」は、クラスメートから見たら、かなりキモかったと思うよ。

 

でもこれ、100パー、私が悪いわ。努力は無駄だったね。

 

ここで「無駄な努力なんてないよ」と同情してくれる人には、まあ、お幸せな人生でよろしゅうございますね、と言うしかない。羨ましい。

 

無駄な努力って、いくらでもあるだよ。あるだよ。友達を作ろうとして、努力して、結果、できなかった。

 

無駄じゃないだって? だとしたらなぜ、40を越えてなお夢で心を痛めねばならないのか。無駄だったと諦めるからこそ、少なくとも現実だけは先へ進めた。

 

そんな人に対して「無駄じゃない」と言う残酷さったらないよ。分かる人には分かると思うんだけど、分からない人には絶対分からない。まあ、分からない方が幸せなのだけれども。

 

結果こそ重要な場面で結果を得られない。落ち込む人の努力を褒めるのは、傍観者にのみ許された特権なんだよな。私だって甲子園を見てると、負けた球児の努力を褒めてあげたくなる。でもそれにしたって、本人が結果を無視し、自分の努力のみを高く評価したら、チガウだろ。

 

 

仕事の努力は、友達作りに比べれば、後々役に立つことは多いよね。それは私も実感する。遠回りしたけど失敗の経験があったからこそ成功へたどり着いたと、胸を張れることもある。無駄じゃなかったと泣いたこともあるよ。

 

でもね。それは成功した要素に限るわ。なんでもかんでも無駄じゃない、俺は頑張ったんだと言い続けたら、何が間違いだったかを把握できず、失敗を繰り返す。

 

貴方の周りでも、努力を認めてほしがる人ほど、同じ失敗を繰り返し、区切りをつけられず、他人の批判ばかりしてるでしょ。

 

努力が無駄だったと認めることは、失敗を認めるということ。プライドにしがみついてるうちは、失敗を認めてない。敗者のプライドなんぞ、他人からすれば鼻くそ以下の価値しかない。負け続けた私が言うんだから間違いないぞ。実際、貴方にとって、私のプライドなんて鼻くそ以下だろ?

 

無駄と認めた努力が将来役に立つかどうかは、泡予告くらいの確率と割り切って進もう。次の努力を実らせればいいだけの話だ。

 

それでダメならその次。またまたダメでもその次。死ぬまで努力してダメなら、大笑いして死ねばいい。俺の人生は無駄だったと。自分を嘆き、全てを恨み、この世の全てに災厄をもたらそう。

 

そのときは友達になってください。

 

 

個人ネタ

Posted by ボンペイ吉田