TMRを1万円だけ打ってみた

パチンコ, 新台レポート

1万円で145回転。金をドブへ捨てる感覚に耐えられず、数十分で撤退しました('A`)

写真も撮ったんだけど、芸能人系は著作権者からのクレームもあり得るので、文字だけです。ファースト自腹インプレッションなので、事実と異なってる可能性も大です。

 

「唯一」の価値を自ら下げる悲しさ

イマイチ使い道の見えないスマホ型チャンスボタンですけど、「こすれ!」と表示されたのよ。ボタンのスクラッチってのは、他の機械ではあり得ないアクションでしょ。つまり独自性なわけで。これを賑やかしに使ってしまうのはもったいないよね

大一の枠でしかできないのに、ほぼほぼハズレ確定。つまりこの独自デバイスは、プレイヤーの敵になるわけだ。

極論に感じる? でも、同じく独自の動きをする京楽の飛び出るボタンや、金牙狼の剣を賑やかしで使う? 使わないよね?

その枠でしか味わえないアクションに対しては、大きな信頼度を振り分けてほしいと思うわけよ。でないと、その枠を搭載する機械そのものを信頼できなくなってしまう。非常にもったいなという印象でした。

 

 

落下役モノの意志は伝わった

落下役モノは熱い。これは現代パチンコの常識でもありますわね。その是非はともかく、一定のコンセンサスはある。そんな中でTMR、「落下一回だけじゃ、ただの賑やかし」という考え方をしています。私も最初は激アツかと思いましたよ。そしたらあなた、リーチすらかからない。

ただ、役モノの動きは美しいと思った。速さもそうだけど、一般的な上下左右の動きではなく、前後の動きを絡めた。

言葉にすれば簡単だけど、あれだけ大きい役モノだと、そもそも格納領域を食うわけじゃん。さらに前後の動きは、発動した際に他の役モノと干渉する懸念も出てくるわけで。

それをあえて搭載し、テンポアップのツールとした姿勢に、一定の美学を感じたワケです。動かしておけば間持ちするだろうという浅い考えではなく、何か伝えたいことがあったのではないかと。

 

液晶は信頼度の軸を失っている

ぶっちゃけ、つまんねえのよね、液晶は。

ひねりにひねったスペックは一度当ててみたいと思うものの、そこへ至る1/400のハマリに耐えられない。「スペックのもたらす喜び」を感じられぬまま離脱した人も多そうだ。

多彩なステージでそれぞれの予告を多く搭載。空気化した落下役モノ。似てるんだか似てないんだか分からないキャラ。予告もリーチもフルパワーのガチンコハイテンション。信頼度の軸は全く見えなくなった。

おそらく多くの人は、何時間打っても、どうなれば大当りへ近づくか分からないんじゃないかな。唯一の大きな手がかりは、落下役モノの連続なんだけど、前述の通り「リーチすらかからねえのかよ」という感情ばかり先立ち、好意的に受け止められない。

そもそもどれが賑やかしなのか、どれが信頼度を付与された予告なのかすら分からない。圧倒的な混沌。「ボンペイ五段活用」における「認知」を著しく困難にしている。

当然、一回目のリピートへつながらず(二度と座らない)、版権に頼った、派手なだけの機械となってしまったと。

 

 

他の演出振り分けで打ってみたい

まずは当然、西川貴教の歌唱力、迫力、魅力を伝えることを考えたはずだよね。私もそう思うんだけど、素人の悲しさからか、心揺さぶる機械とは何なのかという発想は出て来ない。

でも少なくとも、SDキャラを裸にしてジャングルを走らせたり、薄っぺらい歌詞を強調したりすることじゃないと思うのよね。

通常時の液晶演出を派手一辺倒ではなく、「無予告」を一定数織り交ぜる。もしくは通常時を圧倒的な淡白さにして、役モノ落下からスタートする「鬼のように予告を上乗せしまくった擬似連」にしたら、どうだったか。

そんなものは素人の戯れ言と言われるかもしれん。実際、私は開発経験なんて無い。しかし我々は、今現在の演出振り分け以外を知らないのよ

高稼働しなかったという現実を前に考えたとき、少なくとも現在の振り分けは、正解ではなかった、と言えるわけで(´・ω・`)

 

 

大切なのは通常時だと再確認させてくれた

素材は良かった。スペックを工夫していた。アタッカー周りの機構にもひねりを加えた。極めて野心的な機械であった。

しかし残念ながら、高稼働とはならなかった。理屈ではない、パチンカーの感性だけが乗っていなかったように思う。

・・・何をもってパチンカーの感性とするかは人それぞれかもしれないけど、パチンコに慣れていればいるほど、見切りも早い。つまり、「それ当たらないの!?」ではなく、「それリーチにすらならないの!?」で、諦めている可能性もあるよね。

当らないのは当り前。MAXなんだから。だけど、演出を重ね、役モノまで落下させてもリーチにすらならないのは、個人的にはちょっと許せない。

同じように感じているヘビーユーザーも多いのだとしたら、全ての回転へ大当りの希望を持たせるのは、最初から稼働を放棄することにつながるのかもしれん。

 

 

圧倒的なカオスの先に見出した超極論

ただのクソハズレ1回転にまで大当りの期待感を煽る、TMR@大一商会。混沌のど真ん中で全てを見失う演出で戸惑います。しかしそれを最初から狙っていたのだとしたら、どうだ。

低稼働だったからクソ台と批判するのは簡単だけど、毎回期待させることの無意味さを伝える意思を込めていたとしたら、どうだ。

全てのハズレで大当りを匂わせたらどうなるかという、壮大な実験だったのではないか。

 

演出のインフレ、現代パチンコへのアンチテーゼだとしたら、私はTMRに最大級の賛辞を送りたい。

 

 

「最近の大一って○○だよね」←これ

演出の引き算抜きに、アツさは生まれないわけじゃん。TMRは全身でそれを表現していたように思う。極限まで足し算しても、ダメだよねと。

最近の大一商会って、加速装置やドキドキゲートみたいに、機構は工夫するけど液晶はどうにもならないってパターンじゃないですか。この、どうにもならなさってのは、つまり「認知」への配慮不足なわけですよ。

アンチテーゼだろうが何だろうが、TMRから学ぶところはとても大きい。

もしも将来、大一商会が輝きを取り戻したら、その時私は「TMRをきっかけとして生まれ変わったよね」と言いたい。皮肉でも嫌味でもなく、それほどインパクトのある、突き抜けた機械でした。

 

・・・って、まあ、40分しか打たずに何を言ってるんだって話なんですけどね(´・ω・`)